

放蕩書店のサイン本はちょっとちがう?
「ほうとうくん」とは、放蕩書店のキャラクターであり、あひるのようなドードーのような生き物です。世界中を旅をしながら、草枕で本を読むのが好きです。ドーナツも同じくらいLOVE!
この見慣れたようで、そうでないような——たいていは初対面の奇妙な存在を、著者さまに一匹添えていただきます。
※もちろん、「署名のみ」のサイン本もあるよ!
考えてみれば、これはなかなかに無茶な注文です。馴染み深い人はほとんどおらず、多くの作家にとって、ほうとうくんはその場で初めて遭遇する生き物。特徴を簡単に説明され、あるいは見本を一瞥し、「では、ひとつ」とペンを渡される。ちょっと気の毒ですらある。
しかし、わずかな戸惑いこそ、作家の「なり」がよく現れるのではないでしょうか?
いきなり未知の生物を前にしたとき、人はどのように線を引くのか。そこには、作家の癖や判断、あるいは世界との付き合い方まで、うっすらと滲み出るものなのかもしれません。


目に映るものは皆フィクションである。『「アタック・オブ・ザ・キラートマト」を観ながら』久永実木彦に寄せて
「アタック・オブ・ザ・キラートマト」という映画を見たことがあるだろうか。この作品はAmazon videoに幾円か課金することで、自宅のソファに腰掛けながら、楽しむことができる。この作品は全体として脈絡のないコラージュを繋ぎ合わせたような映画なのだが、とりわけ私がお気に入りなのは、FIAの捜査官であるディクスンがキラートマトに襲われるがひょんな理由から九死に一生を得るシーンだ。ディクスンは、急いた胸を落ち着かすために何気なく窓の外を見ると、自分の車が車中荒らしにあっていることに気がつく。彼は急いで駐車場へ戻って、物取りを捕まえようとする。ここで重要なのは、恐怖のキラートマトから奇跡的に逃れた幸運は、次なる脅威によってかき消されてしまうということだ。「トマトから逃げられたんだから、車上荒らしくらい、まあいっか」とはならない。生きているから、生きている限り、次なる脅威に人間は目まぐるしい。 そのような様態は「アタック・オブ・ザ・キラートマト」内の人間が必死に生きているから露呈するのである。トマトにしてもディクスンにしても、これが一つのフィクションに


家に残したきみへ
家出をした私が家のものに残した手紙です。



























