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光のある方へ蔓は伸びる

4 時間前
読了時間: 3分

(『月刊花すけ vol.69 』に触発されたエッセイ)

 職場に花を置いている。普段はひとりで作業にあたることが多いうえに、上司に目をまともに見てもらえないので、私を見ているのはこの花一輪になる。『月刊花すけ vol.69 』に寄稿している碇雪恵さんのエッセイ(『十年覚えている花の名前』)で職場にお花を置いているエピソードがあった。「そんなことをすれば周囲から浮いてますます辛くなるのに」と思いながら、ジャムの小瓶に花を生けている。花を飾っていても、私の上司は仕事場の変化に気づかないだろう。彼を責めるつもりもなくて、おそらくASDの傾向が強い人だから、私自身もあんまり気にしていない。ただ、いくつかの配慮を心がけている。上司が理解しやすいように文面で依頼を送ったり、作業に集中している時は話しかけないようにする。扉の隙間を猫がすり抜けるように教える・教わるが逆転し、どっちが上司で部下なのかわからなくなるが、とかく学習塾の運営はもう直ぐ本格的に受験シーズンを迎える冬支度をしながらどうにかなっている。
 これ以上、考えても仕方がないことがある。
 社会的な不条理にもなおさら、それに時間を使うのがもったいない。考えて生きることも大事だが、どの思考の鉱脈を掘り進めるに了諾を出すか現場監督として自分が選んでいい。はっきり言えるのは、くだらない人のことを考えても、自由に蔓は伸びてこないということだ。三年間、私は当事者研究を行ってきたため、他者心理についてある程度の目線でつい考えたくなってしまうが、その人・トピックから出てくる会話もどんなに好きな人としたって虚しい場合がある。現在地を裏打ちするシークエンスにはなるだろうが、人生の中心として扱うのは乏しく肥やしにすらならない。
 だから花を見るようにする。私のデスクには、ピンク色のスプレーマムが薄く柔らかな花が試験管に生けてある。淡い紫色は円状にひろがり、間接照明の方へ茎の方向を委ねていた。頭の固く絞られた蕾は金曜日の出勤までに咲くか/咲かないか、それとも休日のうちも成長を働いて、月曜日の私が出社するころには枯れてしまっているだろうか。
 勤務時間中、こっそりスマホで調べると、スプレーマムとは西洋名で、日本語では私たちが仏事で見慣れた、あの菊らしい。華やかな花に見えて、実は弔いの花でもあったのだ。確かに菊と言われれば、葉っぱはギザギザしているし、私ではなく他の人が買っていれば、仏壇がその花の咲く場所だったかもしれない。
 離職寸前だった碇さんが花を飾る理由がわかる。私も不自由なここにいながら、ここではないどこかに行こうとしている。

 花を職場に置くことはここだけではない自分を創造して自らの姿勢を正すことなのだ。与えられたその場で咲くことではなく、どんな仕事に就いていてもどんな状況でも自分のやることを自分で許せるかという自律心だった。あるいは、すべきことをしないことが自分にとって耐え難いことなのか考えることなのだ。試験管の蕾は、まだ固いまま。
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