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朱印

 京都の市内バスへ世の捨てたこどもが、夏休みも始まらぬ、観光客もまだらなころに、一日乗車券でのりこみ、空っぽの時間に墨が滲んでしまわないかという言い訳で、さきの寺でもらったご朱印帳をしみじみひろげていると、絵に映る小さな仏像の判子が小窓から逃げてった。ということは、小窓は単に入り口ではなく、出入り口ということになる。

 川をまっぷたつに切るように作られた渡月橋をバスがゆく。出入り口となった小窓から、風に扮した赤い仏が訪れ、こどものゆるやかな力で握られた蛇腹の紙をバス内の右から左へと押し流し、お布施で写してもらった寺の署名を坊主が挟んでくれた半紙とともに天井や床のさきにまではねちらかし、とどまるところをこどもに教えなかった。寺院行脚は京都バスで易きになった。踊り参りを自由研究にするくわだては焼印のまわったあさはかなこどもをこの世に戻した。

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