top of page

逃亡線を家の中に となり席エッセイ③

6 時間前
読了時間: 4分
 

 サボっている間に起こった出来事を話そう。家出しているあいだ、泊めてもらった男としばらくの逢瀬のうちにじっこんの間柄となり、終わり良ければすべて良しで結婚したのはそのやさしげな傾国王子だった。オードリー・ヘプバーン主役の『マイ・フェア・レディ』について書いた関さんのテクストに触発されたまま、溶けた蝋細工のように人生が容易い時期にかまけて、すっかりお返事をサボり呆けておりましたこと、相すみませんとお詫びした姿勢のまま、街へ私をひきずって歩き、まっとうに小説にもうだつが上がらず、たどり着いたのはすっかり馴染み深くなったはじめて家と呼べる場所だった。
 熟睡に絶好の場所は今まで用意がなかった。どこにいても私の居場所とはいえず、「何にもなくてもここにいていいよ」「楽しいようにのびのび生きて」と言われ、日の明るいうちに深い眠りに生まれてはじめて就くことができた。家がなければ本当の意味で逃避することはできず、だから逆説的に私は家というものに縛られていた。家族には見切りをつけて業を煮やし、親族から提案される一方的な「和解」にうんざりしていた。私が誰からも支配されることなどない。親族が寂しくなった時や不自由になった際の手足やコマでは無い。私の慈愛が足りないんじゃなくて、自分の子供はいつでもどこでも監視できて、植民地化できるという甘い考えと再生産を拒んで、自分の人生を生きているだけだ。私には私が選んだ家と家族がいる。
 だから放蕩なんてしなくていい。聖書の逸話だと、放蕩息子は金も時間も使い果たし、勘当された父に許しを乞う。父はそれを受け入れる。私にとって放蕩はその家族から遠くに離れるプロセスそのものが重要だった。遠くへ来た。遠くではない。私へ父性を発揮してくれる人は全然違う若い人になり、私の居場所はその人の近くになった。生家と呼称がつくものこそ薄暗く朧げな知らない場所。きっといつか私は忘れてしまうだろう。
 私は三年間、放蕩書店という名前の本屋をやっていたが、上記の件で、コンセプチャルな部分で相違が起こり辞めてから、さあてと腰を上げた。文章を書かなければならない。一番最初にする仕事はこのエッセイを書くことだった。その時、初めて関さんが私の書くことの家なのかもしれないと思った。
大学で1人きりで座席に寝てた私へ話しかけてくれたのは関さんだったし、よくわからんものをよくわからんまま受け入れてくれる感度の高さはあの教室には1人しかおらんかった。だからほかに「読みにくい」だの「意味がわからない」だの言われようが、自分は関さんが読んでくれればよかった。10人通りがかったとして9人には無視される小説が最後の1人にまぶしくみえる。私が望もうとも望まなかろうともそういう輝きかたしかできない性質をあらかじめ知ってしまったのは関さんのおかげだった。
 一万二千円の沢田研二のチケットが僕らを運んでくれた。本当におっぴろげによかった。YouTubeで「ザ・ベスト・テン」の若い時ばっかりで予習してきてしまったけれど、ライブはそれを超えてくるものだった。野外音楽堂での居丈高な態度。それで始まって、目の前のスピーカーから──そりゃあS席だから──ギターのリフが全開音で聞こえてきて、毛皮のマフラーをしたおばさんが声を上げた。僕たちの視点から見えていたのは、沢田研二の衣装持ち。あれは舞台袖にいるの、めっちゃ見えてたね。高い金で衣装もちを見た僕たち。
すごいしゃべりたかった。ニュースで報道されたみたいにライブがいきなり中止になったらどうしようって。でも関さんの心臓の音がドッドッドッって伝わってくるほど目を輝かせていて、非常に精神の不安定な状態だったから、不思議と気持ちは僕たち、いや私たちは共有していたね。会場全体のお客さんたちの頭上に吹き出しが出ていて「ライブ中止になったらどうしよう」ってその積乱雲に書いてあったね。
 いつも不安がつきまとう境遇にある。渋谷のクワトロで大森靖子のライブ中に携帯電話鳴ったらどうしようとか、恵比寿のリキッドルームでMOROHAが背中しか見えん位置にずっといたらどうしようとか。どうしていっつも不憫な境遇になってしまうのか不安がる私たちではない、多分それでも現実を楽しめてしまう僕たちなんだ。友達でもなくライバルでもなく変な仲。一緒に行ったことのないジュリーのライブも大森靖子の弾き語りもMOROHAのコンサートも行った気になれる。実物は弧を描くように近づいては離れていく、不思議なひと関さん。「僕たち」なんかではなく、私たちだったらもっと友達みたいに仲良くなれたはず。会った回数は付き合いの年月に比べて圧倒的に短いのに、こんなに思い出深いのは何故だろう。書いたものを何度も読む。読んだことでまた関さんが気になる。
 9月の長雨は待ち人の雨。
 関さんは三年間、私が書くのを待ってくれた。自分を重ねるとはたいそうなものだけれど、いつまでも待ってくれる人がいるから、どこへも行けたのかもしれないね。
いつかは関さんが大好きなオカムラちゃんの、本当のライブ行きたいね。
そんなことを思いつつ筆を置きます。

宗沢香音
bottom of page