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家出

 嫌いになったわけじゃない。なんなら一緒に住んでるKのことが大好きだ。けれど家に帰れなかった。理由はあんまり喋りたくない。今、私は高円寺にあるネットカフェの狭く汗臭い個室のリクライニングシートに寝っ転がり、IさんからもらったiPhone7でちまちま文章を打っている。
 家出したのだ。
 それは突然のことだった。
 予定があって高円寺にやってきて、Iさんと会い、いざ家に帰ろうとしたとき、動けなくなった。止まってしまったつま先を見つめ、涙がぽろぽろ頬に転がっても拭うことが出来なかった。その帰路の先で広がっていたはずの未来、それもすぐやってくる明日とか明後日とかが飛び越えられないほど高い壁になって、私の頭上に降り掛かってきた。「はね返せ」自分の中で声がする。これまでも家に帰ってきたじゃないか。鍵を開けて、手を洗って夜風をお土産に、先に眠った彼をただいまって抱きしめればいい。腕枕を体に絡ませてしんどくても朝を待てばいい。そうしたら、そうしたら、そうしたら、きっと大丈夫になる。抱きしめてもらおう。いまの私は、まともじゃない。本当は家に帰れるけれど、甘えでうじうじしてるだけだ。だってまた、人に迷惑かけちゃうよ? もう大人だから。大人は迷惑をかけないもん。こんなことで帰れなくなるのはくだらないじゃん。帰ってから、またトコトン話し合って解決すればいい。言いたいこと言って理解しあって擦り合わせができたら、そうしたら、またもっと好きになるから。そうしたら、そうしたら、また——あの家に帰らなくちゃいけない。

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